
おなかの人とは?
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<魂と私の会話5回目ー10> ”ビビリ装置”と”私”という意識とが分離していくと、このカラクリ、仕組みの使い方がわかりやすくなっていく
●初回セッションから ●2回目セッションから ●3回目セッションから ●4回目セッションから ●前回から
ほな「やめて〜!」って言うてる方は、「そんなことで、そんなことして幸福感とか、気持ちがあったかくなるとか、そんなことないねん!私がそんなことにはならへんて言ってるやん!やめてって言ってるやん!なんでそんな酷いことすんのよー?!」って話やねんけど、そうやって言ってくれるから、HOT!HOT!てなるわけね(笑)
うんうん(笑)
で、そっちの方の幸福感というのを、私たちはなぜか感じれてしまうわけ!
うん
そもそもの私たちの本体がそっちやから。なんっか、ほんまに理屈じゃないところで、「その「やめて〜!」って言うような事をやった時に、私はすごい充足感を感じる!」みたいなのが生まれて来るのね。
うん
生まれて来るやろ?
うん・・・
そやろ?もうこの充足感はさ、もう自我にとってはイヤーな充足感、イヤやんかそんなの。「私がこんだけ拒絶してんのにあんたなに充足してんの?」でしょ?
うん
でもその充足感はあるやん。
うん
で、その充足感はなんで味わえたかっていうと、自我が抵抗してくれたからでしょ?
うん
うん。ということは自我に感謝して、自我がイヤがる事をやりましょうねって話になるねん
うん(笑)
えっと、だいぶ噛み砕いて説明してるけど、どうやろう?っておなかの人に聞いて?
ふふ(笑)だいぶ噛み砕いて説明してるけど、どう?・・・・・・・・・・・・・「まだ、よくわかってないぞ♪」って(笑)
あはははは!(笑)
あはははは(笑)
ふふふ(笑)よくわかってたら、「そっかー!じゃあ自我がイヤがることやるー!今からなにしよーワクワクするー!」って反応にならはんねんけどね(笑)全然自我がイヤがる事をやる気にあんまなってないもんね、今(笑)
いや・・・なってはいるよ。
あ、なってはいるんか!ちょ、なってはいるよ!って(おなかの人に)言って。
なってはいるよ、うん。ただビビってるだけで。
ああそうやね!その、ただビビってるのが、コイルやからね。
うんうんそうそうそう
クルクル巻いている電線のビビリ装置やからね?
うん
うん。で、その”ビビリ装置”と”私”という意識とが、こう、分離していくとわかりやすくなっていくねん、このカラクリというか、この仕組みの使い方が。
うんうんうん
でもまだ、密接に、というか癒着してるから、まだくっついてるから、話はわかるけど、”ビビっている私”になんねん。
うんうん
完全に分離すると、ビビっている自我と、ワクワクしている私、という関係性になんねん
うんうん。そう、ワクワクもすごい感じるのよ、おなかの方はね(笑)
感じるやろ?そやろ?(笑)
だから、いい加減ね、話聞いて、「やるやろ?」みたいな威圧感は感じてるのね、おなかの方から。うん。「いや、何回みっちゃんにおんなじ話させてんねん」って(おなかの人が)言ってるから(笑)
あははは(笑)その威圧感を、えっと、おなかの人の威圧感ていうのを受け取っている私がどこにおんねん、て事。
ああー。なんか今は、自我でじゃなくて、また別のところで受け取ってるかなあ・・・
そやろ?それどこ?
・・・・・それはね、そのこと考えてる時は、この辺なのいつも。(頭の後ろのあたりを手のひらでくるっと回して現す)
うんうんそやろ?この、いわゆる頭の自我ではない、明らかに違うところでそれを見てたり受け取ったりしてるでしょ?
そうそうそう
そうそうそう。だから自我の場所と、違う場所で受け取っている私が居るってことだよ?
うんうんうん
だからその場所で判断すんねん
あ、ここで?
そう、そこで判断すんねん
うん
自我のここ(頭)で判断すると、絶対コイツのビビリの影響を受けた、鈍った判断しかできないから。
うんうん
ここではない、後ろやったら、後ろ場所にいる私で、自我では無い判断をすんねん
うん・・・ちょっとみっちゃんに聞いてみたかったんだけど、私、この、こっち側に現れたこの人ね(頭の斜め後ろあたりに感じる別の意識)、これ自分と別と思ってたんだけど、じゃなくて自我から見てたから別と思っただけかな?
そうや?そらそうや
こっち・・・なんかおなか仲間から、「これが自分」って言われて、自分と一緒と思ってなかったの最初。
うん
一番最初はおなかの人かな?って思ったんだけど、なんか全然様子が違くって、でも自我意識から見てたから、別物に見えたっていうことか・・
うんうん、で、その人が誰かっていうのを自我意識で理解するとか認識するとかはどうでもよくって、その人は自我でないところでおなかの意見を聞いている私やねん。
うん、そう、そんな感じ。
うん、そうでしょ?自我は抵抗装置やけど、自我でないところの私というのは、抵抗装置が付いてない私やねん。
あーーーー確かに・・・付いてない(笑)
そうやろ?ということは、自我は必ず抵抗装置の役割をするから、抵抗するという反応をするんやけど、抵抗装置が付いてない私は、フリーな反応ができるわけ。
うん
うん、だから自我のように抵抗してもいいし、おなかの人の意見に乗っかって「やろーぜやろーぜ!」って言ってもいいし、自由さがあんねん。
うんうん
でも自我には自由さは無いねん。抵抗装置やから。絶対に抵抗するという選択をさせられはんねん。だから自我で判断していったらラチがあかんねんていう話。
次の魂との会話に続く
⬆︎今朝お茶を淹れたらティーバッグにこんなメッセージが。communicate sacredness; build it, share it, spread it.「神聖さを伝え、それを構築し、共有し、拡げるように!」って(笑)太陽の塔での不思議体験から、明らかに何か別の意識に触れているのを感じる。おなかの魂でもなく、私でも無い、別の意識。それがどういうことなのか、全くわからないけど、進むだけ。