魂と私の会話とは?
私がおなかの人(自分の魂・核となるもの)と出逢った経緯を
今日からぼちぼちと書いていこうと思う。
私が初めておなかの人と出逢ったのは2017年の8月。
大阪の小島道弘(コジマ・ミチヒロさん、通称「みっちゃん」)という
人と魂の栓を開通するおっちゃんと出会い、
おなかの魂と会話ができるようにその栓を開通してもらってから、
おなかの魂と会話している。
✴︎みっちゃんについてはコチラ→好きプロ
みっちゃんがいうには人間が「私」と思っている意識とはまた別の意識がおなかに在って、
どうやらそちらが本質であり、本来の自分であるらしい。
そしておなかの人は、人間が誰でも当たり前に感じる迷い・恐怖・不安などの意識が無く、
それを味わうことを目的としてこの世に人間として生まれている。。。それが私たち人間らしい(笑)
「なんのこっちゃ」と思うでしょうが、まあここはひとつ。
この宇宙の物事の理(ことわり)を知り、
その境地に少しずつすこーしずつ近づいていく
私という人間ののろーい歩みを楽しんでいただけたら幸いです♫
<魂と私の会話1回目−1>悩みと不安で死んだように生きていた私 2017.8.8 start
かよ
「初めまして〜よろしくお願いします〜」
みっちゃん
「はいーえーと◯◯ちゃんのお友達ですね。マヤ暦仲間ですね。あれ今日マヤ暦ですごい日じゃなかったですか?そんな日にありがとうございます。
…(私が書いた申し込み理由を読みながら)えーと、◯◯ちゃんがfacebookで変わっていくのを見て来てくれたってことなんですけど。◯◯ちゃんからは何か聞いてますか。」
かよ
「話聞いたり、動画とかサイトを送ってもらいました」
みっちゃん
「聞いた話と動画とかを見てて、どんな風に今思ってはります?」
かよ
「あ、いや。おなかの人の声聞いてみたいなあって(思ってます)」
みっちゃん
「そうやね。おなかの人の声を聞いて、どうなると嬉しいですか」
かよ
「うーーーーーん。なんか、なんだろう。。。それが自分の本心と言うかー
(私は)結構迷うので、なんかズバッと道が決まったらいいなあっていう願望はあります。」
ーこの後今私が何をしている人か、今までの経緯を話すー
(✴︎長いので読みたい人だけどうぞ→)この頃の私は3.11の震災以来、不安がとてもとても大きくて東京にいられず家族で沖縄の離島に移住。そこで知り合った有志の人たちとシュタイナー託児所を開園。夫は学習塾を開業。
子連れ再婚で第三子が生まれたばかり。子供が生まれてからずっと「オーガニック以外食べ物じゃない」と健康や食に気をつけて生きてきて原発にも反対。お米作りや自家栽培の無農薬野菜を作りたい!と島に来たけれど・・・島暮らしは家庭以外は最高。でも大切な人の最期の時に会えなかったり、親友の結婚式に参加できなかったり、サッと動けない環境とみんながみんな知り合いだらけの島の閉塞感と、何より、夫の思う理想の家族像と現実の自分の感じるしんどさとのギャップが日に日に大きくなり、楽しさも希望も無く、このままこの人と生きていく未来に絶望しか感じないそんな生きているのに死んでいるような毎日を過ごしていた。本当の自分の幸せをずっとずっと探していて、様々な本や人や場を渡り歩いては「もうわかった!もう大丈夫!」と思い、またすぐ元に戻る・・・と言う幸せ難民を長年していて、藁をも掴む気持ちでみっちゃんと会ったのだった。
ーそして魂の話になっていくー
みっちゃん
「おなかの人とお話をできるようになりやすくする為に今から色々説明していきます。ま、ちょっとあまりよそでは聞かない話をしたりするかもしれませんが。
そもそも、今◯◯ちゃん(冒頭のお友達)がだいぶ雰囲気が変わって来たのは、本当の自分ていうものに対して、怖がらずにそれと向かい合って「ああ、それが本当の自分や」と認めだして、行動し始めたのね。
なので◯◯ちゃんの今までの意識では「絶対やりたくない!」って思ってたことも「ああー私は本当はやりたがっている」ってことに気づいてしまったから「みっちゃんなんかと出会わなければ気づかなくて済んだのに!」とか言いながら「気づいてしまったからには。。。やるしかねえ」とか言うてはんねん(笑)
で、何が言いたいかと言うと。。。人は人間という生き物である以上、だいたい現代人はすごい根本的なことを勘違いしたまんま生きている、のよ。」
(かようなずく)
みっちゃん
「自分と思っている自分が本当の自分に気がついた途端、「あれ?これまでの私は、私じゃないやん?!」ってことになんのね。
えっと・・・そういうことになっていくセッションなんですけど・・・いいかな?(笑)」
かよ
「あはははは〜そうなんですよねーえへへへへ(笑)
いやなんか、◯◯ちゃんから色々話聞いたときに、既にちょっと逃げ出したい気持ちが・・・」
みっちゃん
「(笑)そうやんなー普通そうやん。ま、そうなんですけど、大丈夫ですかね?」
かよ
「(笑)大丈夫です。覚悟してます(笑)」
みっちゃん
「あはは(笑)まあちょっと覚悟がいるけど、より自分らしい人生になっていく方向なので。まあまあ、一応覚悟しといてください(笑)
まあかなりさ、色んな決断力を持って色んな未知のチャレンジをこれまでもやって来はった人みたいなので・・・ちょっとその始めにそういう覚悟をした、という状態でいくのも面白いかな?と思って、そういう話の進め方をさせて頂きました。」
かよ
「はい」
みっちゃん
「まあなにせね、勘違いしているんですよ。人間である以上。
で、何を勘違いしているかというと。えーっと生きている目的というものがね。そもそも生きている目的って生まれて来た目的とイコールなはずでしょ?なのにだいたい生まれて来た目的を知らないよね?
かよちゃんは生まれて来た目的をハッキリ覚えてる?」
かよ
「覚えてないです。」
みっちゃん
「でしょ。覚えてないでしょ。覚えてないってことは明確に生まれて来た目的を知らないまんま僕たちは生きてるわけでしょ」
かよ
「うん」
みっちゃん
「で、知らないまんま生きているけど、僕たちなりに、えっと、このように生きたいという理想のようなものがあるでしょ?」
かよ
「うん。ある。」
みっちゃん
「ねえ。その思っている、僕たちが思っている理想の生き方になったとしても、本来生まれて来た目的がそれではない可能性がある。・・・言ってる事わかる?」
かよ
「うん」
みっちゃん
「ていうことは、本来、生まれて来た目的を知らないまんま、どのような生き方をしても、本来の目的が叶うかどうかは、わからないよね?」
かよ
「うん」(うんしか言ってねw)
みっちゃん
「だから、えっと、目的が叶わない状態のことを、幸せとはなかなか言わないでしょ? ということは、目的を知らない以上、幸せになることが非常に難しいんですよ。でも「幸せになるために生まれて来た」と僕たちは勘違い、というか思い込んでるのね。」
かよ
「うん」
みっちゃん
「理屈の説明わかる?つまり、「幸せになりたい」けど、幸せになることが生まれて来た目的かどうかはわからない、ということね。
で、そもそも生まれて来た目的を僕たちは忘れている立場なんですけど、じゃ、そもそも生まれて来た目的てのは、誰が目的にしたんだ?っていう話ね。で、かよちゃんはその目的にした存在が居るとしたら、何者やと思います?」
かよ
「うーーーーーーーーん・・・なんだろう・・・・自分かなあ?」
みっちゃん
「うん、でもその自分てのは・・・ねえ、忘れちゃったね。
じゃあ忘れる前の自分だね。うん、それでいいんだよ。だから、それを忘れる前の自分と、忘れた自分が居るわけでしょ。」
ここからさらに深い話になっていく・・・・
✴︎次に続く