母親のイメージが守れない罪悪感
自分の生き方や幸せを探していた時は、同時に
母親の理想イメージもずっと追求していたと思う。
で、たくさんの理想を自分の外側に見つけては
同じように出来ない自分を責めたりしてました。
(我ながらなんつー無駄なことにエネルギーを使っていたのか・・・)
他人や周りがどうでもよくなってくる
自分が路上したり、頭の思考では絶対に嫌だと思っているけれど実はちょっとやりたい事とか
実際にやり始めてみると
まず他人・周りがどうでもよくなってくるので
自分が他と比べて母親としてどうなのか?って所も
もれなくどうでもよくなってくる。
欠陥だらけのわたしをやりたい魂
そして、この不器用で理想通りに全く出来ない自分というものをわざわざやりに来たことが体感としてわかって来るので
それなら「わたしの何を変える必要があんの?」ってなってくる。
だって自分にあーだこーだダメ出ししているけど、そのダメなわたしがやりたかったのなら
全知全能だったからこそ、あれこれが抜け落ちた存在とその感情を味わいたかったのなら。。。
このわたし全てが正解しかない
ってことだ。
わたし達を人間として生かそうとした、そちら側から観ると
どんな人間も今ここに存在してる確かな理由があるんだね。
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